1952年、個人タクシーはなぜ生まれたのか?

個人タクシー

今回は「1952年、個人タクシーはなぜ生まれたのか?」を書こうと思います。 

とりま、いまでは当たり前の存在となった「個人タクシー」ですが、この制度が始まったのは1952年だそうで、戦後間もくまだ日本全体が復興の途上にあった時代だったそうです。 

当時の日本は、深刻な失業問題を抱えていましたそうで、復員兵、引き揚げ者、工場閉鎖による失職者など、とにかく「働き口」が足りなかった様です。 
一方で、都市部では人の移動が急増し、タクシーの供給力も不足していました。 

この二つの問題を同時に解決しようとして生まれたのが、個人タクシー制度だった様です。 

簡単に言えば、「腕のある運転手に独立を認め、仕事を作り、輸送力も増やそう」という、かなり実利的な政策でした。 
理想論というより、現実的な経済対策に近い制度だったと言えます。 

【個タクは「選ばれた運転手」の証だった】 

制度開始当初から、個人タクシーは「誰でもなれる」ものではありませんでした。 

・長年の無事故運転 
・一定年数以上の乗務経験 
・厳しい試験 

こうした条件をクリアした乗務員だけが、現在の様に独立を許されたのです。 

そのため、個人タクシーは自然と「ベテラン」、「腕利き」、「安心して乗れる」というイメージを持たれるようになりました。利用者にとっては、ある種の「品質保証マーク」のような存在だったとも言えます。 

一方で、これは法人タクシー業界にとって、非常に大きな衝撃でもありました。 

【優秀な人材が、次々と消えていく】 

個人タクシー制度が始まると、法人タクシー会社から、経験豊富なドライバーが次々と独立していったそうです。 

理由は単純で、同じ仕事をしても 
、 
・収入は大幅アップ 
・勤務時間は自由 
・上司もノルマもなし 

となれば、独立しない理由が見当たりません(苦笑)。 

結果として、法人タクシー会社は現在の様に「人が定着しない業界」になっていきます。育てたドライバーが、数年後には独立してしまう・・・この構造は、現在に至るまでほとんど変わっていません(苦笑)。😱 

【個タクが、法人タクシーを鍛えた】 

しかし、この「人材流出」は、決して悪いことばかりではありませんでした。 

優秀な人材を引き留めるため、法人タクシー各社は、 

・歩合率の引き上げ 
・給与制度の改善 
・福利厚生の整備 
・接遇教育の強化 

に取り組まざるを得なくなります。 

つまり、逆を言えば個人タクシーの存在そのものが、法人タクシー業界を「鍛える圧力」として機能したわけです(苦笑)。 

もし個人タクシー制度が存在しなければ、法人タクシーの労働条件やサービス品質の改善は、もっと遅れていた可能性があります。 

【競争が生んだ、業界全体の底上げ】 

個人タクシーは、接客、運転、地理感覚のすべてにおいて高い水準を求められます。その結果、利用者の目も自然と厳しくなりました。 

「個タクは丁寧なのに、法人は雑だ」・・・こうした声が出れば、法人側も黙っていられません。 

この競争が、 

・制服の統一 
・接遇マナー研修 
・クレーム対応制度 

といった、現在では当たり前の業界標準を生み出していきます。 

個人タクシーは、結果的に業界全体のサービス品質を底上げする存在になったと言える様な気がしす。 

【独立という「夢」を与えた制度が個タク】 

もう一つ、個人タクシー制度が業界にもたのみらした大きな変化があります。 

それは、「タクシー乗務員は、一生雇われの身」という固定観念を壊したことです。 

努力と実績を積めば、独立でき自分の裁量で働ける。・・・この「上昇ルート」の存在は、多くの運転手にとって、大きなモチベーションになりました。 

タクシー運転という仕事が、単なる労働ではなく、一つの職業人生として描ける仕事になった。この意義は、想像以上に大きかったと思います。 

【70年以上続く法人タクシーとの静かな緊張関係】

1952年に始まった個人タクシー制度は、それ以来70年以上にわたって、法人タクシー業界と微妙な緊張関係を保ち続けています。 

・人材を奪う存在 
・業界を鍛える存在 

この二面性を持った制度だからこそ、いまもなお、個人タクシーは特別な存在であり続けているのかもしれません。🙂