今回は「なぜ国交省はタクシー乗務員を「誇り高い職業」と態々太字で言わねばならなかったのか?」を書こうと思います。
とりま、いつもの様にパトロールしていると、ハイ・タク協会の川鍋会長が新年の挨拶で「GX、DXの潮流の中で使命を果たしエッセンシャルサービスの一翼を担う」という年頭の挨拶文を出していました。
このよく聞くエッセンシャルサービスとは、人々の生活に不可欠な物品やサービスを提供する産業・事業のことで、小売、物流、医療、介護、交通、エネルギー=電気・ガス・水道、通信などが含まれ、これらを担う労働者は「エッセンシャルワーカー」と呼ばれ、この文脈から見ると実感は有りませんが、タクシー乗務員も「エッセンシャルワーカー」だそうです。(苦笑)
令和6年9月25日、国土交通省は「ドライバーの仕事には魅力があります~ バス・タクシー・トラックの運転者等へ興味をお持ちください ~」という資料を公表しました。
その中で運転手ではなく(苦笑)運転者について「必要不可欠な、いわゆるエッセンシャルワーカーであり、誇り高い職業です」という一文が、わざわざ太字で記されています。
一見すると前向きな評価に見えますが、現場や業界を知る立場からすると、素直にうなずけない違和感が自分いは残ります。
【「太字で強調する」という行為が示すもの】
本当に社会的評価が定着している職業であれば、「誇り高い職業です」と改めて強調する必要はありません。(笑)
医師や看護師、消防士などについて、行政が太字で「誇り高い」と説明することはほゞほゞありません。
つまり今回の表現は、現実にはそう見られていないという前提があるからこそ出てきた言葉だと考えられます。要は、評価が足りないことを、言葉で補おうとしている構図の様に自分には見えます。😱
【タクシー運転手に向けられてきた「横目線」】
日本では「職業に貴賤はない」と言われますが、横目線、つまり世間の空気には明確な序列が存在します。
タクシー運転手は長年、・「誰でもなれる」・「最後にたどり着く仕事」・「会社勤めに失敗した人の受け皿」
といった語られ方をされてきました。
これは偶然ではなく、学歴や企業所属を重視する古くからの日本の社会構造の中で、接客・身体労働が低く見られてきた結果です。
【「駕籠かき」から続く歴史的な蔑視構造】
この意識は、さらに遡ることができます。江戸時代の「駕籠かき」は、人を運ぶ仕事=今のエッセシャルワーカーでありながら、身分的には低く扱われていました。
換言すれば、「いなくては困るが、対等ではない」・・・・この矛盾した立場は、現代のタクシー運転手にもそのまま引き継がれています。(苦笑)🤷♀️
社会インフラでありながら、尊敬の対象にはなりにくい。それが日本社会の根深い特徴です。
【必要不可欠なのに、評価は低いという現実】
タクシーが止まれば、高齢者や障害者、深夜帯の移動は成り立たなく、物流が止まれば、経済はすぐに影響を受けます。
まさにタクシーやバスの乗務員やトラック運転者もエッセンシャルトラックワーカーです。それでも、賃金は低く、責任は重く、トラブル時には真っ先に矢面に立たされます。
重要性と扱いの落差が、長年放置されてきました。
【国交省が言葉で持ち上げるしかない理由】
国交省が「エッセンシャルワーカー」、「誇り高い職業」と強調する背景には、深刻な人手不足があります。
待遇や構造をすぐに変えられない以上、まず言葉で価値を再定義するしかない。それが行政の限界でもあります。
しかし、現場の実感が伴わなければ、この表現はどうしても絵空事に聞こえてしまいます。
【誇りは資料ではなく、現場で育つものです】
本来、職業の誇りは行政が与えるものではあ無く、日々の仕事の中で、自分自身が納得できるかどうかで決まります。
今回の太字表現は、評価の完成形ではなく、日本社会がまだそこに到達していないことの証明とも言えます。
この自分の様にこの違和感を覚える人がいる限り、タクシー乗務員という仕事の評価は、まだ変わる余地があるはずです。‥‥・知らんけど(笑)😱
その国交省に該当ページのURLは以下です。
https://wwwtb.mlit.go.jp/kanto/s_chiba/date/ch_p240925.pdf

