アプリがあるのに、営業区域外からなぜ空車で帰るのか?

タクシーの話題

今回は「アプリがあるのに、営業区域外からなぜ空車で帰るのか?」を書こうと思います。 

とりま、1951年6月1日に現在の「道路運送法」が公布され、同年7月1日から施行されました。 

このタイミングで、全国の各地方陸運局=現在の運輸局の長によって、最初の営業区域の設定(公示)が行われました。 

「道路運送法」が公布される前の戦時中の統制下では、輸送力確保のために区域が曖昧だったり、広域だったりすることもありましたが、新法の制定により「秩序ある輸送」を目指すため、行政区画(市町村)に基づいた厳格な線引きがなされました。なので、最初に営業区域は今と違って、当時の基準は 原則として「市町村単位」だった様です。 

なので、1951年の道路運送法施行時点では、今の京浜交通圏は以下のような個別の営業区域に分かれていました。 

  • 横浜市域 
  • 川崎市域 
  • 横須賀市域 
  • 三浦市域→当時は三浦郡三崎町などの町村が合併して市になる直前の過渡期 

つまり、当時は「横浜のタクシーが川崎駅で客を乗せる」ことは明確な違反だったのです。 

これが一つのエリアに統合されたのは、1970年(昭和45年)前後のことの様で、 高度経済成長で都市化が進み、横浜・川崎・東京が地続きの「巨大な経済圏」になったことが原因だそうです。 

東京で客を下した横華のタクシーが、目の前で手を挙げる客を無視して「回送」で走り去る、一見すると不親切なこの光景、実は乗務員の意思や怠慢ではなく、70年以上前に作られた「法律」の仕業なんです。(苦笑) 

「なんで目の前の客を乗せちゃいけないの?」 

タクシー業界の外にいる人からすれば、これほど理解しがたいルールはないですよね。 
アプリを使えば、帰り道に自分の営業エリアまで戻りたい客を、一瞬で、ピンポイントで見つけられる技術はもう手元にあるはずです。 

それなのに、あえて「空車」のままガソリンを焚いて帰る、これって、経済的にも環境的にも「空車で帰る」、・・・今の時代で見ればただの「ロス」でしか有りません。 

【昭和26年から止まったままの営業区域と言う「ナワバリ」の壁】

  この奇妙なルールの根っこにあるのが、昭和26年(1951年)に施行された道路運送法第20条です。 

戦後、復興の中でタクシーが秩序なく走り回って食い合いにならないよう、国が「君の会社はこのエリアで商売しなさい」と境界線を引き、それが「営業区域」の始まりです。 

当時は電話も無線もない時代ですから、エリアを区切って需給を管理するのは、輸送の秩序を守るための「正義」だったわけです。 

【最新アプリの性能を封印する「安全装置」】

  でも、考えてもみてください。昭和26年といえば、まだ白黒テレビも普及していない頃ですよ。そんな時代の「ナワバリ意識」を詰め込んだ道路運送法第20条が、令和の最新アプリを搭載した車両を今も縛り付けています。 

アプリという最強の武器を手にしながら、法規という名の足かせのせいで、その性能を半分も出せていないんです。 

【「帰り便」マッチングを阻む法的なジレンマ】 

 今の配車アプリは、本当は「帰り便」をマッチングさせる能力を十分に持ってるような気がします。 

でも、それを全力でやってしまうと、法律の「区域外乗車の禁止」に真正面からぶつかってしまうので、だから、アプリ会社もあえて機能を制限したり、実験という形で少しずつ慎重に進めるしかないのが実情です。 

【1951年の秩序か、2026年の最適化か】

 「日本版ライドシェア」なんて言葉が飛び交う今、プロのタクシーだけが70年前の境界線に縛られ続けるのは、果たして誰のためで、何のためなのでしょうか?。 

もちろん、地方のタクシーを守るといった「建前」はわかります。でも、テクノロジーで営業区域に帰る人に需要が可視化できる今なら、もっと柔軟で、もっと「三方よし」な線引きがあるはずです。 

「1951年の秩序」を守り続けるのか、それとも「2026年の最適化」に舵を切るのか。そろそろ、この第20条という名の重い扉を開ける時が来ているのではないでしょうか?。・・・・知らんけど(笑)🤷‍♀️